生い立ち


福島県出身、働くことをいとわず「市民の苦労が我が苦労」座右の銘



 小学5年から新聞配達

童謡「牧場の朝」のモデルの福島県鏡石町で、1952年に生まれの2人兄弟。小学校4年生のとき、父が亡くなり、中学卒業まで家計を助けるため新聞配達。冬の寒い日や雨の日につらくてやめたいと思った時、懸命に働く母の顔が浮かび、歯をくいしばり続けました。

あぜ道、畑道、歌の道

「ふみあき君、前に出て歌ってごらん」先生に声をかけられたのは、小学校2年生の時。うれしくて学校の帰り道、あぜ道を歩きながら大きな声で歌ってました。中学の時は加山雄三の歌が大好きで、歌手にあこがれたことも。
 就職してから地域の合唱団に入りトップテナーを担当し、ベートーベンの第九を原語で歌ったこともあります。

悲しかったクリスマス

高校は食品加工科で、クリスマスには実習で飼っていたブロイラー(鶏)を丸焼きにして町へ売りに。自分で育てた鶏を殺すのはいやでした。家でもブロイラーを飼ってましたが、たまごは売って家計の足しに。たまに食べても1個のたまごを一家みんなで分けあって食べるという生活でした。

サッカー部主将

中学は3年間、バスケット部。 高校では、相撲が好きだったので相撲部を希望したが、高校にはなかったので柔道部に入りました。しかし体が小さかったので自分には向かないと思い、初段をとっただけでやめてしまいました。その後サッカー部に入り、主将をまかされたのですが、チームは万年Bクラスでした。高校に入ってからは、夏や冬の休みに左官屋さんでアルバイトをしました。泊まりがけの仕事もこなしながら、なんとか部活のサッカーシューズやユニフォームなどを買いました。

働く中で共産党と出会い

高校を卒業して横浜にある高梨乳業に就職。配送兼営業の仕事は、朝5時から夕方7、8時までという勤務でした。
 会社からいきなり営業所への配転命令が出され、友人の紹介で日本共産党の事務所をたずねたのがきっかけで、日本共産党の仕事に。
 この間、はたの君枝参院議員秘書や地方新聞「新かながわ」の記者などをして働き、12年前の市議選で初当選、市民のくらしを守るためチャレンジします。ご支援をよろしくお願いいたします